Search
国際情報
International information

「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

知る学ぶ
Knowledge

日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

セミナー「子供のスポーツ」

オランダの自転車活用と身体的効果(後編)

山口 泰雄(神戸大学 名誉教授/SSF上席特別研究員)

◀前編からつづく

4. オランダにおける自転車環境整備

 オランダでは、1890年代に自転車道の整備が始められ、その後も継続して整備され、標識もわかりやすく保守も行き届いている。国内の自転車道は全長37,000kmと言われ、基本的に、道路は車道、自転車道、歩道の区分に分かれ、それぞれが完全に独立している。参与観察において、慣れないことから誤って自転車専用レーンを歩き、高速で自転車が脇を通ったり、ベルを鳴らされたり、怖い思いをしたことも少なくない。自転車道の整備は、国と自治体によって行われ、保守管理も継続して実施されている。

 大都市の自転車道には、「路側帯」という破線の区切りが設けられている場合が多い。路面が黄色または赤色で塗られていたり、道路の左右両側に設置されていたりする場合もある。「分離路」は道路と並行しているが、車道から区分され、左右両側に設けられている。「双方向自転車道」(デュアル)はオランダで特徴的で、自動車道と同様に中央部は車線で区切られている。自転車道の整備に伴い、信号機も整備され、自動車信号、歩行者信号と共に、自転車信号が置かれている。自転車信号により、安心して交差点を通過することができる。

 2006年、政府の交通・公共事業・水管理省(現、インフラ・水事業省)は、40の交通渋滞解消事業 (City Congestion Free) のひとつとして、自転車高速道(cycling highways)の整備をスタートさせた。最近では、中距離(1020km)における自転車利用を促進する政策が進められている。具体的には、中距離通勤向けの自転車道が整備され、自動車通勤から自転車通勤へのシフトを奨励している。「ラインワールパス」は、20157月に開通し、アーネム市とネイメーヘン市を結んでいる。赤色で塗装された自転車道で、距離15.8km、幅4mの自転車高速道路である。両都市間を12,000人が移動することを見込んで整備された。

 交通量の少ない住宅地や商店街には、”fietsstraat”(サイクルストリート)が置かれている。ここでの主役は自転車で、自動車などはゲストとして通行が許可されている。自動車は30km以下の速度制限があり、通常は赤いアスファルトで着色されている。「自転車ファースト」であるゆえ、自動車は自転車を追い抜くと罰金になる。

写真1 対面式自転車道 

写真1 対面式自転車道(筆者撮影:2016年6月)

写真2 自転車用信号

写真2 自転車用信号(筆者撮影:2016年6月)

 オランダの政策では、すべてのショップが店の隣に駐輪場を提供することになっている。また、すべての鉄道駅に駐輪場が置かれており、自宅から駅までの自転車、そして駅から職場までの自転車を1台ずつ所有している人も少なくない。アムステルダム駅には3,500台の駐輪場が置かれているが、20198月に、ユトレヒト中央駅に世界最大の地下駐輪場がオープンした。これは、かつて駅と隣接するショッピングモールをつないだ巨大建築物が解体され、新しい通りと広場になり、新たに大型駐輪場 (stationsallee) に生まれ変わったものである。大型駐輪場は地下3層からなり一方通行で24時間まで利用無料である。利便性、スピード、安全性という3つの特徴を持ち、サイクリストは駐輪場までスピードを落とさずに入ることができる。また、1,000台のシェアバイク(自転車レンタル)、空き状況を知らせるモニターシステム、自転車修理店も用意されている。

 オランダ鉄道の電車には自転車マークのついた車両があり、自転車を折りたたまず、そのまま持ち込むことができる。ラッシュ時(7:00-9:00, 16:00-18:30)は、持ち込めないが、それ以外の時間帯では6ユーロ(地下鉄は1.5ユーロ)の追加料金で持ち込める。週末には、家族連れのサイクリング旅行者が目立ち、郊外まで電車で出かけサイクリングを楽しんだ後、電車に自転車を積んで帰宅する。運河をつなぐフェリーや水上バスでも、自転車が目立ち、追加料金はない。

 オランダでは観光客向けの自転車レンタルは自転車店で可能であるが、同国最大の自転車レンタルは、オランダ鉄道が2003年にスタートさせた「OV-fiets」(公共交通機関の自転車)である。オランダ全土の300カ所以上の鉄道駅、バス停、路面電車駅で借りることができる。会員制で年会費は10ユーロ、1回のレンタル料は1.3ユーロになっている。登録会員は50万人を超えている。筆者も現地では大抵の場合、駅の地下にある「OV-fiets」を利用したが、修理や調整をするスタッフが常駐しており、サドルの高さを調整してもらうなど、快適なサイクリングを楽しむことができた。

写真3 ユトレヒト駅のOV-fiets

写真3 ユトレヒト駅のOV-fiets(筆者撮影:2016年7月) 

写真4 ユトレヒト中央駅

写真4 ユトレヒト中央駅 (筆者撮影:2016年7月)

5.オランダにおける自転車振興の身体的効果

 Harms & Kansen2018)は、先行研究のレビューから、サイクリングは糖尿病、ガンの一部、冠状動脈性心疾患、うつ病といった疾病リスクを軽減することを強調した。また、毎日の自転車通勤は、心疾患の死亡リスクを52%、ガンの死亡リスクを41%下げると報告した。これらの数値は、年齢や社会経済的背景によって異なり、現在、身体不活動と呼ばれるターゲットグループから最も効果が期待できるという。また、自転車利用の身体的効果について、下記をあげている。

①自転車利用による運動は、3か月から14か月寿命を延ばす。

②自転車利用による大気汚染の改善は、1日から40日間寿命を延ばす。

③自転車利用による交通事故リスクを下げることは、5日から9日間寿命を延ばす。

④定期的な自転車利用は、ジムプログラムの1週間から2週間の効果に匹敵する。

⑤自転車利用は、肥満予防に効果的であり、その結果、糖尿病リスクを下げ、冠状動脈性心疾患リスクを減少し、うつ病リスクを下げる。

 ユトレヒト大学のFishmannらのプロジェクトチームは、オランダにおける自転車利用の健康面への効果と経済効果を実証的に検証した。自転車利用時間と死亡率に関する全国データ(2010年~2013年)をオランダ統計局から入手した。また、オランダでは、毎年50,000人の無作為抽出による「全国旅行調査」が実施されており、年代別の自転車利用時間に関するデータも入手した。これらのデータを世界保健機関(WHO)が開発した健康経済評価ツール(HEAT)を用いて、自転車利用によって毎年予防される死亡率と死亡者を推定した。HEATの算出においては、最近の自転車利用の効果研究から、1週間で100分間の自転車利用により10%の死亡率の減少を前提としている。

 表2は、オランダにおける自転車利用時間と平均死亡率(20歳~90歳: 2010-2013)による健康経済評価を示している。入力データは、年齢グループ、平均自転車利用時間(分/週)、人口(千人)、平均死亡率(10万人当たり)である。健康経済評価ツール(HEAT)による分析結果は、自転車利用による死亡率の減少、予防死者数(年間)、経済効果(10億ユーロ/年)、そして分析結果として平均寿命の増加を示している。表2には、オランダ成人の20歳から90歳それぞれの週当たりの自転車利用時間が記されており、成人全体で1週当たり74分間自転車を利用していることがわかる。成人人口は1,272万人で、成人の10万人当たりの平均死亡率は878人である。自転車利用による死亡率の減少は、1週間当たり100分で10%とされていることから、1週間当たり74分で7.4%、年間6,657人の死亡が自転車利用により予防できていることになる。経済効果の算出では、2015年のオランダの一人当たりの国内総生産(GDP)280万ユーロをベースとすると、年間6,657人の死亡が予防できることから、年間約190億ユーロの創出が可能となる。2015年のオランダの国内総生産(GDP)は、約6,090億ユーロであることから、自転車利用による便益は、国内総生産の3%に相当している。また、オランダ人の死亡率(IOMLIFET, 2010,2013)の年代ごとデータから、平均寿命の増加を合計すると0.57年の延長となる。

 これらの研究成果は、以下のようにまとめることができる。

①オランダでは、1週間平均74分の自転車利用(成人)により、毎年6,657人の死亡が防げている。

②オランダ人は、自転車利用により約6か月寿命が延びている。

③これらの便益は、国内総生産の3%に相当している。

そして、プロジェクトチームは、自転車インフラ整備や施設の改善といった自転車振興政策への投資は、長期的な費用対効果をもたらす可能性が高いと結論づけた。

表2 自転車利用時間と平均死亡率(20歳~90歳:2010-2013)による健康経済評価
入力データ  HEAT成果 分析結果
年齢グループ 平均自転車
利用時間
(分/週)
人口
(千人)
平均死亡率
(10万人当たり)
自転車利用による
死亡率の減少
予防死者数
(年間)
経済効果の増加
(10億ユーロ/年)
平均寿命の増加
20-29 73 2085 31 7.3 47 0.1 0.01
30-39 69 2087 53 6.9 77 0.2 0.02
40-49 69 2573 135 6.9 241 0.7 0.03
50-59 79 2320 390 7.9 715 2.0 0.08
60-64 89 1071 757 8.9 719 2.0 0.07
65-69 94 872 1232 9.4 1009 2.8 0.09
70-74 88 652 1963 8.8 1127 3.2 0.05
75-79 73 507 3422 7.3 1274 3.6 0.09
80-84 36 369 6328 3.6 842 2.4 0.05
85-90 24 216 11663 2.4 606 1.7 0.03
Total 74 12725 878 7.4 6657 18.6 0.57

出典: Fishmann E. et al.(2015: e15)より筆者作成

6.まとめ

 わが国ではコロナ禍により、運動・スポーツ実施率が減少し、“身体不活動”の生活スタイルが広がり、体重やストレス増加など健康問題に暗い影をもたらしている。わが国における自転車は、保有台数こそ約2人に1台と世界で中位に位置しているが、利用状況や交通事故、法律および環境整備には課題が山積している。また「自転車活用促進法」(2016年)と「第2次自転車活用推進計画」(2021年)の制定により、地方公共団体においても自転車活用計画の策定が進んでいるが、計画内容とクオリティ、実施計画においては自治体間格差がみられる。

 オランダにおける自転車活用の身体効果を検証した結果は、下記にまとめることができる。

①オランダにおける自転車振興は、1970年代のモータリゼーションの普及により、自動車事故が増えた際、特に子どもを交通事故から守るための市民運動からはじまった。

②オランダは比較的人口密度が高く、平坦な国土と湿度の低い涼しい気候が、自転車利用に適している。国と自治体による自転車インフラ整備と保全が、計画的に進められている。

③振興施策は、自転車専用レーンの整備、公共交通と自転車の連携強化、自転車通勤・通学の奨励が中心である。道路は、自動車道、自転車道、歩道の完全分離方式が多く、自転車専用レーンは対面方式と一方通行の2つのタイプが採用されている。また、自動車信号のほかに、自転車信号と歩行者信号が置かれているところが多い。

④オランダ政府は、大気汚染の環境対策と交通渋滞の緩和政策として、1995年から通勤手段の自動車から自転車への転換を奨励する目的で、企業に対する税制上の優遇制度を導入している。自転車利用の促進と「自転車ファースト」の理念により、オランダでは、「環境にやさしいまちづくり」、「身体活動量の増加による健康増進」、「自動車渋滞解消による都市の住みやすさ」に成功している。

⑤ヨーロッパでは、1980年から自転車都市会議 (The Velo-city) が開始された。同会議は、政府や自治体、政治家、研究者、コンサルタント、ビジネスマン、自転車愛好者などのステークホルダーが一堂に会するフォーラムとして、現在も継続開催されている。

⑥オランダでは、1週間平均74分の自転車利用(成人)により、毎年6,657人の死亡が防げている。また自転車利用により約6か月寿命が延びている。これらの便益は、国内総生産の3%に相当している。

 

本稿は、山口泰雄:「オランダにおける自転車振興政策とその身体効果」流通科学大学-人間・社会・自然編 第34巻第2号:49-63, 2022(参考文献含む)を加筆・修正した。
https://ryuka.repo.nii.ac.jp/record/1537/files/049-063yamaguchiyasuosensei.pdf

 

  • 山口 泰雄 山口 泰雄 神戸大学 名誉教授/SSF 上席特別研究員
    カナダ・ウォータールー大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。生涯スポーツ振興の国際組織であるTAFISA(The Association For International Sport for All:国際スポーツ・フォー・オール協議会)で、日本人として二人目の理事を2009年より3期13年務める。中央教育審議会スポーツ・青少年分科会副会長、独立行政法人日本スポーツ振興センター・スポーツ振興助成審査委員長、日本生涯スポーツ学会会長などを歴任。スポーツ政策やスポーツ・フォー・オールの研究を行う。大学ではスポーツビジネス論、スポーツ文化論、健康・スポーツ関連企業分析などを講じる。趣味はテニス。

    主な著書:「スポーツ・ボランティアへの招待-新しいスポーツ文化の可能性-」「地域を変えた総合型地域スポーツクラブ」「健康・スポーツへの招待-今日から始めるアクティブ・ライフ-」他。